こんにちは!AJP編集部のわくです。
アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmory-History(略してハモヒス)」。
今回は、YouTubeチャンネル’PLUS Unison.’の運営や50Fes等各種イベントの企画運営を行なっているりょーたさんにインタビューしてきました!
そのインタビューの内容を2回にわたってお届けします!
目次
りょーたさんの紹介
上智大学アカペラサークルL’arbre de HarmonieのOB。学生の頃から50Fesの代表を務めており、その他数多くのイベントを企画運営。JAM2014・KAJa!2016 出場。
現在もプレイヤーとして活動する傍ら、YouTubeチャンネル’PLUS Unison.’の運営や50Fes等各種イベントの企画運営を行なっている。 Twitter
インタビュアーの紹介
名古屋在住のアレンジ大好き社会人。プロフィール
筑波大学Doo-Wop所属の大学2年生。Twitter
アカペラを始めたきっかけはハモネプ
りょーたさんがアカペラを始めたきっかけを教えていただけますか?
高校生の時にハモネプが大好きでした。当時は「グラコロン」「A-Z」「無花果」あたりの時代ですね。「めちゃくちゃ青春やん!」ってなって(笑)。
どこの大学に入ってもアカペラサークルに入ろうと決めて、結果上智大学に入りました。
「グラコロン」「A-Z」「無花果」さんが活躍していた時代は僕もテレビで観てましたけど、熱かったですよね!
そうですね!アイドルみたいな人気でしたよね。
入学当初はライブの数が少なかった
入学後、アカペラーとしてどんなサークル生活を送られたんでしょうか。
プレイヤーとしてはライブにめちゃめちゃ出たい人間でした。「ハモネプに出たい!」という気持ちでサークルに入ったので、出られるステージをすごく求めていたんですけど、僕が1~2年生の時はライブの数が少なかったですね。
東京だと「JAMしかない」みたいな、まだまだ発展途上な状況でした。
確かに。ソラマチアカペラストリートもまだなかったですよね。
ソラマチも僕が2年生の時に始まったので、1年生の頃はなかったです。ライブに出たいのにライブがないので「作ろう」という考えになって、サークルの垣根を越えて同期のバンドを集めて箱ライブを開催したりしてつながりを作ったり、それこそソラマチのような新しいイベントがあれば「出るでしょ!」と(笑)。
「場があれば行く」ということですね!
そうですね。あとは同期のバンドで遠征も行きましたね。全国どこにでも飛んでいく、みたいな「ストロングスタイル」でやってました。
すごいですね!
僕は1・2年生の時からイベントを作る人間としてガツガツやってたので、悪目立ちもしていたと思うんですよね。調子に乗ってると思われやすいというか(笑)。
だから「プレイヤーもちゃんとやってるぞ」という意味で、アカペラのスキルもしっかり磨いていく必要があると思っていて、そのためのアクションも意識的に起こしていました。4年生の時は、インカレバンドを3つぐらい組んでましたね。
おお~!
それが実って、JAM2014の本戦にインカレバンド2つで出ることができました。
初めてJAMに出た年でもあったんですけど、その頃から瀬戸内ジャクソンなどインカレ勢でもキャッチーなバンドが出てきたような気がします。
今や日本一のボイストレーナーYouTuber「しらスタ」のおしらとは、当時「ラス☆ベガス」というインカレバンドで一緒に歌っていて、歌や音楽について本当に沢山のことを教えてもらいました。今考えるとレアな話ですよね。
そうですね!
裏方と演者の”二刀流”
とにかく「裏方も演者もやりたい!」という学生生活でした。
出演者にしかわからないニーズがあると思っていて、「こんなステージに立ちたい」というワクワク感を叶えられるように、イベントを作る側も出る側も見る側もWin-Win-Winの形になるように、という想いで動いていました。イベント作りをしたお陰で交流が広がってインカレバンドが組みやすくなったメリットもあったし、プレイヤーとしても積極的に活動していたことで、イベントを作る人間としての自分の信頼感も高めることができたと思います。
サークル生活をしながらインカレバンドをいくつも組んで、裏方もやって…相当忙しかったんじゃないでしょうか。
ほんとにアカペラしかやってなくて、大学にはアカペラしに行ってました(笑)。アカペラとバイトの繰り返しというか、やりたいことを全部詰め込んだら必然的に時間がなくなっていった、って感じだったので、今思えば凄いスケジュールでやっていたのかもしれません。
アレンジなどはされていたんですか?
1~2年生の時から、オリジナルを歌うグループが増えないとアカペラの未来にとって良くないんじゃないかと思っていて、サークルに向けてオリジナル曲を作ったり、3年生の時にラルブルでオリジナル曲しか歌わないバンドを作りました。
自分で作った曲はもちろん、メンバーや先輩が作ったオリジナル曲をアカペラアレンジして歌ったりと、自分たち発信の音楽もやっていましたね。
オリジナルのバンドもやっていたんですね。バンドの組み方とかサークル生活の送り方って色々あると思うんですけど、りょーたさんは1人で網羅してるって感じで、アカペラへの情熱が本当に凄いですね!
幅は広かったと思います。洋楽も邦楽もプロカバーもオリジナルもやりましたし、とりあえず何でもやってみるというスタイルだったかもしれません。
アカペライベントの主催を始めたきっかけ
色々なアカペライベントの主催をされていると思いますが、いつからイベントの主催を行っているのでしょうか。
僕は1年生の時にジョニーさんという先輩に誘われて50Fesの主催を始めたんですけど、
他にも1年生の時にイベント作りをはじめ、同期を集めた箱ライブや交流会などを頻繁に企画していました。
1年生で主催をするのはすごいですね!
当時はそれぞれのサークル内で歌って完結していることが多かったので、他大学との交流もなかったんですよね。
Twitterもまだ流行ってなかったと思います。なので、当時はライブに出たくでもなかなかライブがなかったんです。であれば自分で作るしかないと思い、同期バンドを誘ってライブをし始めました。
また、サークルや地域関係なく、幅広くアカペラーが交流する場を作るために全国的なイベントを企画したのが50Fesの始まりでした。
時代の変化を感じた経験
これまでの活動の中で、時代の変化を感じられた経験はありましたか?
アカスピの認知度が全国的に広がっていったことにより、大会を目指してアカペラをする人が増えてきましたね。それと同時にアカペラ人口も増えてきて、大会以外にもフラットに出演ができる50Fesなどのストリートイベントの需要も高まったように感じます。年々規模が拡大して盛り上がってきた所にコロナがやって来て、そこで足止めを食らいました。
コロナの影響は大きかったですよね。
コロナの影響で様々なイベントが中止となり、今ではそもそも対面アカペラのイベントのイメージがわからない学生もいます。
逆に、各々がリモートアカペラをするようになってからはみんなのクリエイティブスキルが非常に高まりましたね。
リモートアカペラの良さもありますが、アカペラに限らず音楽は対面でやるのが一番だと思っているので、学生のみんなにはなるべく多く対面アカペラの機会を体験してほしいと思っています。
大学を卒業された後も、アカペラをしている大学生に向けて何か出来る事をしたいと考える姿勢はとても尊敬します。
次回のお話
まだまだ貴重なお話が続きますが、今回はここまで。次回は、50Fesについてのお話を中心にお伺いします。
どうぞお楽しみに!
◆各種リンクはこちら
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