こんにちは、AJP編集部のらたです。アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Hamory-History(略してハモヒス)」。
今回お送りするのは、「サークル史紀行」の第3弾。早稲田大学StreetCornerSymphony(以下SCS)と京都大学CrazyClef(以下クレクレ)の交流の歴史について取材させていただきました。
実はSCSで活動していた方が京都大学でクレクレを創設されたため、両サークルは「姉妹サークル」とも言われており、現在では定期的に交流イベントを行う間柄です。私らた自身もSCSの卒業生で、現役の時に交流会に参加してクレクレの皆さんととても楽しい時間を過ごした思い出があります。
今回はハモヒスとしてこの「サークル同士の交流」という部分に注目し、クレクレ創設者である松田潤一さんをはじめ、2サークルそれぞれの卒業生と現役の皆さんにお集まり頂き、交流を深める経緯やお互いのサークルカラーについてなど、様々なお話をお聞きしました!
※2サークル分という大ボリュームの記事となったため、一気読みは厳しいかもしれません。ブックマークして少しずつ読んで頂いても大丈夫です!
目次
ゲストの紹介
松田潤一さん(SCS/クレクレ)
1993年SCSに入会後、早稲田大学を中退して京都大学に入学し、1994年にアカペラサークルCrazyClefを創設。その後2001年から2005年度にかけてSCSに所属。
亀井淳子さん(クレクレ)
クレクレ3期生として、1996年〜5年間ほど在籍。サークル運営メンバーとして箱ライブのプロデューサーなどを努める。その後バークリー音楽院を卒業し、プロアカペラグループ「宝船」のメンバーとして活躍。現在はディクションレッスン講師としてもご活躍中です。レッスンや審査員等、ご依頼は【junkokameimusic@gmail.com】にて受付中。
なかじまさん(SCS)
SCSに2007年〜2011年在籍。バンドでは「V.I.P」でJAM2010でBOJ(最優秀バンド)を獲得。「boys’vanguard」でもKAJa!2010に出演するなど活躍。サークルでは代表を務め、サークルライブのプロデューサーや、周年記念パーティの運営なども行った。
かわさきさん(クレクレ)
2007年〜2012年クレクレ在籍。バンドでは2011年に「BOSS」で第14回ハモネプ全国大会出場を果たす。「SToRY」や「彩」のメンバーとしてもKAJa!に出演するなど活躍。サークル代表も務め、今回触れる「SCSとの交流ライブ」や、関西3大学サークル(クレクレ・インスピ・ガーナ)の合同ライブ、また「VOICES」という団体で「関西アカペラサークル交流ストリート」「交流合宿」などを企画し、クレクレと他サークルとの交流の場を設けるような取組みを積極的に行った。
スーチーさん(SCS)
SCSに2020年より入会。現在サークル代表を務める。所属バンドは「Black Velvet」。2021年のSummerLiveでは副プロデューサーを務め、またリモートアカペラの動画編集や広報画像の作成も行っている。
なんちゃんさん(クレクレ)
クレクレに2021年より入会。所属バンドは「Crazy 6」「Essentia」など。「おとのわ」への出演経験あり。現在サークル代表を務めており、サークルイベント運営等の中心となっている。
インタビュアー紹介
2011〜2014年度、早稲田大学StreetCornerSymphonyに所属。2018年より名古屋の社会人アカペラサークルA-radioに所属。また音楽投稿アプリnanaで「カペ羅太」の名前で多重録音などを不定期で投稿しています。
※ゲストの皆さん(+ハモヒスらた)のサークル所属年表
今回2つのサークルを同時に取材させて頂き、またインタビュアーにも卒業生がいるということで、所属時期を年表にまとめましたので、ご参照下さい。
Chapter1:Crazy Clefの創設
発端は「やることない→京大受けよう」
最初にクレクレが創設された頃のお話を伺いたいのですが、松田さんが最初SCSに所属されていて、そこから京都大学に入られたんですよね?
はい。早稲田を中退して京都大学を受け直しました。早稲田で思いっきりサークル活動をしてたんですけど、早稲田祭が終わってから急にやることがなくなったんで。受験勉強しようかと。で、勉強して受けてみたら受かっちゃったんで、さあどうしようみたいな感じで。
途中から勉強を始めて、京都大学に受かるってすごいですね…!
やることがなくなったというのは、アカペラについてですか?
私は早稲田にいた時、授業には全然行かずに、アカペラと合気道ばかりやっていたんです。当時のSCSは、早稲田祭の後にクリスマスライブみたいなイベントがあって、そのオーディションに落ちてると、やることないんですよ。
なるほど。
一応PAもやってたんでライブの裏方はできるんですけど、出演者としての練習はないので、「もういいか」みたいな感じで急にやることなくなって、授業しかないみたいな。授業も冬休みに入ったらないので、使ってなかった教材が勿体ないから全部解いてしまえっていうので、やってみたという感じですね。
冬休みに入ってから、受験勉強を始められたんですね!
で、その後京大を受けて、受かって、京大に入ったという感じです。
「議論は終わっている」by SCSの先輩
松田さんが所属されていた頃のSCSはどのようなサークルだったのでしょうか?
「ハモったら楽しいから練習だけでいいんじゃないんですか?」と先輩に聞いたら「そうじゃないんだ。そんな議論はもう終わってる。人に聴かせるから意味があるんだということで結論が出ている」みたいな話をされて。「録音を楽しめばいいんじゃないですか?」っていうのも「違う」って言われました。「明確に違う」と。
「議論は終わってる」ってすごい…!
私入った当時は、2年先輩が(ゴスペラーズの)村上さんとか黒沢さんがいた黄金世代で、「学生のサークルやのにやたらうまいなぁ」って思ってたんですけど、やっぱりレベルが凄かったみたいで、8人〜10人ぐらいが1回(プロ)デビューまで行ってるんですよね。トライトーンやモモクロも入れると。
実際は「黄金世代」のレベルの高さが異常だったんですけど、僕は彼らを見て「大学の音楽サークルってめちゃくちゃ凄いんだ」と勘違いしてしまい、そのまま京都大学に行って、「少数精鋭でいこう」みたいな間違った方針で人を集めて、痛い目に遭ったという(笑)。
なるほど…。
(当時の)SCSは「大量に入れて大量に辞めていく」というスタイルで、私はそれが気に食わなかったんですけど、どうしてもそれ以外ないんですよ。無理なんです。
分母を大きくしておかないといけないんですね。
そうなんです。音楽がほんまに好きな人間を大量に集めて、彼らが繋がって「おもしろいな」みたいな感じで始めないと続かない。「誰かが全部用意して」とか「誰か指示ちょうだい」みたいな人は結局残れなくて、いても少数派になる…みたいなことに気づきました。
新歓は「100人入れるべし」
クレクレは、最初は「アカペラ同好会」として始められたんですか?
はい。最初は同学年の男4人+女の子1人みたいな感じで始めたんですけど、ハモらないんですよね。2声でもなかなかハモらないんです。なんとなく5〜6人集めただけでは上手くいかないんだと思い知りました。
なるほど、それで、少数精鋭ではなくて、沢山集めようというふうになったんですね。
はい。「100人集めれば、その中に音楽が好きで上手い人もいる」ということで声かけていったら、なんとか回り始めました。
その時「100人」っていうのは実際に100人ほど集められたんですか?
当時…かめぽん(亀井さん)のときって何人ぐらいだっけ、50人ぐらいだっけ?
私達の代はまだそんなにいなくて、1つ下から増えたんじゃないですかね。
(亀井さんの代は)20〜30人やね。で、その次の代から「新歓ちゃんとやろう、100人に名前書かそう」っていうのがあって、その編から組織化していきましたね。亀井さんは私の2個下の代(1996年入会)なんですけど、その代はイケテてるメンバーが結構入って普通にライブをやり始めてみたいな感じですね。定期ライブっぽいのを1回やるぞみたいな。クリスマスライブを最初にやったっけ?
あまり覚えていないんですけど、でもなんか箱ライブは1回やってるような。
そうだよね。「実績が要る」ということで、1回確かライブやったんです。最初はSCSみたいに年に3回も4回もできなかったですけど、そこで形を作って、次の代ぐらいから普通に人数が一気に増えて公民館使ってバンドが10個ぐらい出るみたいなことができるようになってきた感じです
ネーミングは「クレクレ」先行だった!
その頃からサークルとしての形ができてきたんですね。「Crazy Clef」という名前はいつ頃できたんですか。
たしか名前がね、私入ったときは既に「アカペラ同好会」じゃなかったんですよ。「京都アカペラサークル」に変わってて。
「京都アカペラサークル」…なるほど!当時京都で他にサークルないから、「京都のアカペラーここに集まれ!」みたいな感じだったんですね。
インカレサークルにしたいのに「京大」ってつけたら京大以外の人入ってこなくなるので、「拠点は京大にしてます」ぐらいにして、仮の名前をつけてました。
その後、「”京都アカペラサークル”のままではダサい」という話になり(笑)、「読みにくい」「縮めようがない」とかいろんな意見が出て、名前ちゃんと考えようってなったときに、誰かが「”クレクレ”っていうのっていいよね、”クレクレ”にハマる名前を考えよう」って言い出して。
え!略称が先なんですか!?
そう。略が先。そして、1個ぐらいは音楽要素がないと駄目だから、「Clef」が入ってればいけるねって言って。それで、クレイジーみたいな(笑)。
当時は今みたいにアカペラが市民権を得てなかったので、ストリートで弾き語りでもなく声だけで歌うというのが完全に変な行為だったんです。「歌い手なんてみんなヘンなんだよ」ってSCSの人も言ってたし、「クレイジー」ならまあいいんじゃない?みたいな感じで。
そうそう、そうでした。それで「Crazy Clef」になったんです。
「クレクレ」からできたっていうのは、現役の方は知ってましたか?
「クレクレはSCSの人が作ったんだよ」みたいな話は聞いたことがあったんですけど、名前の由来や具体的なエピソードは今回初めて聞きました!
そこで、サークルとしての形ができて、サークル名もできて、人もどんどん増えていったんでしょうか?
はい。それから毎年100人は入るようになりましたね。ハモネプが始まる前はアカペラが全然知られてないので、新歓もビラ配ったりキャンパス内で歌ったり、なんとかして100人集めようと必死でした。
そうですよね、ハモネプをきっかけにアカペラーの人口が一気に増えた印象があるので、それ以前に集めるのは特に大変ですよね。
Chapter2:SCSとの交流の始まり
良いアカペラを知るには、生で聴くに限る!!
クレクレを創設された当初の頃は、SCSとの交流はありましたか?
最初は、学生でお金もないから(東京〜京都を)往復とかできないし、そもそもよくわからんものにはお金を出さないということもあって、交流はなかったんですけども…(亀井さんに)どういう経緯だったか覚えてる?1回Full Houseのメンバーで、SCSのライブあるから行くぞって言ったら、みんな来た時。
Full Houseのメンバーはみんなフットワークが軽かったので、自然とみんなホイホイとついて行く感じだったと思います(笑)。
それが結構分岐点になってて。私は最初SCSのすごいメンツの中でスタートしたのでそれが普通と思ってたんですけど、京大で集めたメンバーは、(アカペラ自体が知られていないので)ちゃんとした演奏がどんなものかが想像できなかったみたいで。私がSCSの経験から「音を当てるのは当然で、どこまで感情を乗せるか」みたいな話をしてもなかなか伝わらなかったんです。それで1回見てもらおうと思って、SCSのライブにみんなで行って聴かせたら、1人がもう完全に目からウロコで「あんなのCDの中だけの話だと思ってたけど、同じ学年の人がやってるなんて…ちょっと考え方変わった」と言ってくれて、ようやく何か私が目指してたことを理解してくれる人が増えてきて…みたいな感じですね。
なるほど!それがきっかけになったんですね。
そうすると「良いものを生で聴いた方がいい」「次のライブも行こうか」みたいな話になるんですよ。大体SCSで3年目でトップを張ってるとこはもう、とんでもないレベルになってることが多いので、聴くだけで感動しちゃんですね。それでうまいこと回り始めたと私は思ってます。
最初の頃は交流的というより、クレクレの人がSCSの演奏を聞きに行くというふうな感じだったんですね。
ビデオ撮ったのを見せたり、音源を聴いてもらったりもしたんですけど、でも駄目なんですよね。やっぱり生で歌ってるの見てもらわないと伝わらないんですよね。
個人単位で相互交流するようになっていった
松田さんや亀井さんがクレクレを卒業されるころも、SCSのライブを聴きに行くことはありましたか?
普通によく行ってましたね。「行きなさい」と言わずとも勝手にみんな行ってました。聴きに行って、そこでちょっと仲良くなって交流しつつ。
私が3年目ぐらいの頃には、SCSからも、たまにこっちの箱ライブを見に来ることがあって。結構行ったり来たりをするようにその頃にはもうなってたかなと思います。こっちはファイト!ストリートを見に行って、向こう(SCS)からはKAJa!を見に来たりとか。(※KAJa!は1998年にスタート)
その後松田さんがSCSに入り直されたあとも、クレクレとSCSの関係は今お話されたような感じでしたか?
3年目、4年目のメンツがもう普通に交流してて、仲良しみたいな感じに定期的に何かお互い会いに行って飲んでるような感じですね。で、私は新人のふりをしてSCSに入って、駄目出しくらったりして(笑)。
SCSの方はもう松田さんを知っている方は卒業されていますもんね。
そうなんです、SCSはだいたい4年で抜けていくので。
今はどうか知らないですけど、やっぱ3年目まで残ってる人って結構本気というか、もう抜けられないぐらいアカペラにどっぷりなはずなので、うまく歌えるようになってるし、楽譜も書けるようになってるんで、「企画バンドやろうぜ」とか言って合わせれば2回ぐらいで結構良いサウンドが出来たりすると思うんですよ。1年目の人たちは、何か悶々と同じメンツで練習してましたね。
当時はその交流はありつつも何か合同でライブをしようみたいなことはなかったんでしょうか?
全くないと思います。お互いのイベントに参加して、プラス飲みに行くっていう感じです。サークル全体での交流とかじゃなくて、個人としてですね。勝手に行って勝手に仲良くなってみたいな。それがどんどん後輩にも受け継がれていったんだと思います。交流が途切れたこともあるのかもしれないですけど。
Chapter3:交流会「CrazySymphony」の立ち上げ
第1回は”ホーム&アウェー方式”でガチライブ
僕がSCSにいた頃の記憶だと、クレクレとSCSの交流会は「Crazy Symphony」と題して、夏季にクレクレの方々が東京に来てホールで交流ライブをやり、冬季はSCSが京都に行って京大の教室でライブとレクリエーションで交流する、という感じで年2回ありました。お客さんは呼ばずにサークル員同士で交流を深めるイベントだったのですが、立ち上げの経緯や最初の頃の様子は今回初めてお聞きします。
松田さん・亀井さんがいた頃の個人間での交流から、川崎さん・中島さんの代でサークル間の交流になっていったということですが、どのような形でサークル間での交流、CrazySymphonyが始まったのでしょうか?
最初は、多分2009年の秋頃で、僕がクレクレの部長を務め終わった頃でした。当時OBだったクレクレの先輩から「SCSの友達と”サークルぐるみで何かやりたいね”って話になったから、あと川崎よろしく」みたいな感じで僕に話が来たんです。SCSからも幹事長終わった人を紹介してくれるらしいから、ちょっと2人でよろしくみたいな。それでSCSのなかじ(なかじまさん)と出会いました。
なるほど。
交流会の1回目も、京都と東京で1回ずつやったんですけど、京都ではもう完全に「ライブ」でした。ライブハウス借りてチケットを販売して、サークルそれぞれで選んだバンドが1バンドずつ交互に出て、一般のお客さん向けにライブをしたんです。2回目以降から、今のようなサークル員同士の交流メインの形になってたんですけど。
え〜!そうだったんですか。
名前も「交流ライブ」じゃなくて「合同ライブ」でした。確か冬で、クリスマスぐらいの時期だった気がします。当時は2回目以降が続くかどうかもわからなかったけど、とりあえず交流はしつつ、でも「クレクレvsSCS、どっちが上手い?」みたいな意識がありました。勝敗を決めるイベントではなかったんですけど。
そして関東側でやったのも、同じく対外ライブだったんです。チケット売って、外部のお客さんを呼んで、それぞれクレクレとSCSのバンドが歌うという。これも本当に「どっちの方が上手いのか」って感じで、僕らより10年ぐらい上の代のSCSのOBを引っ張り出したりして。
反則ですよね!(笑)
まさにガチンコ勝負じゃないですか!サッカーでいう”お互いのホームグラウンドで1試合ずつやる”みたいな感じですね。
今とは全然違うイベントだったんですね!
交流したいという話から始まったんですけど、最初だからやり方がわからなくて、結果的にそういう形になったんだと思います。第2回からは「CrazySymphony」の名前はそのまま残ったけど、内容は交流メインの形に変えたっていう感じですね。
2回目以降は外部のお客さんを呼ぶみたいなことはなく、本当に内輪で交流する形になったんでしょうか?
そうですね。そこから今に至るまで、僕が知る限りで対外ライブをやったというのはなかったと思います。お互い行き来して、サークル員のみで発表会をして、そのまま交流打ち上げみたいな感じ。2回目は東京側は箱で、京都側は京都大学の構内でやりましたね。
季節的にはいつやっていたんでしょうか?
1回目は両方冬だった気がします。動き出しが秋ぐらいだったので、そこから準備を始めて冬に2回両方ポンポンってやったと思います。で、「同じ時期にやるとしんどい」みたいな感じになって、2回目からは東京が夏で京都は冬で、となっていったと思います。
そういう意味でも1回目だけは違っていたんですね!サークルという団体同士で交流するのは初めてだったんですか?
クレクレは初めてじゃなかったと思うんですよね。当時、Clef(立命館大学)とかGhannaGhanna(神戸大学)等のサークルとはすでに交流ライブをやっていました。
SCSは、他サークルとの交流はクレクレとが初めてでしたね。
その初めての交流で、わざわざ京都まで来て交流してくれたのが嬉しかったです。
老舗サークルのプライドと危機感
僕もCrazySymphonyの立ち上げ前の頃を思い出していたんですけど、その頃のSCSは結構プライドが高くて「俺らは誰にも負けない」っていう感じだったんです。当時は「関東のJAM / 関西のKAJa!」みたいな認識だったんですが、2008年のJAMに関西勢がめちゃめちゃ出てきたんです。特にインヒョクさんが1人で3バンドぐらい出てきて、「関西にやばいやつがいる!」となって。
で、彼が読んでいるらしいというリズムの専門書とかをすぐ買ってみんなに広めたりしたんです。当時のSCSの「プライドの高さ」の裏に「このままだとまずい」「関西すごくないか?俺らは井の中の蛙なんじゃないか?」というのがあったと思います。
実はクレクレもその少し前の時期に「俺らちょっとやばいんじゃね?」みたいなのがありました。まず先輩の上手さ。それこそFull Houseさんの音源とか聴かせてもらうと本当にびびるぐらい上手くて。Vox Oneのセイユーが、僕の知ってるセイユーじゃないと感じちゃうぐらい上手いんです。「クレクレの黎明期の人ってめちゃくちゃ上手い人たちの集団だったんだ!」と。
さらに、当時は大阪大学inspiritual voicesや神戸大学GhannaGhannaなど、関西全体の大学アカペラのレベルが飛躍的に伸びていた時期でもあったと思います。当時僕は色々なアカペラライブに行くのが好きだったんですけど、他大学の演奏を聴いて「古参・クレクレの〝一日の長〟としてのアドバンテージが失われつつあるのでは…」と感じていました。でも当時のクレクレはサークル内で切磋琢磨する雰囲気はありつつも、サークル外との交流があまり活発ではなかったので、その変化に気づけない。これはちょっとまずいぞ…外に目を向けないと!という感覚がありました。
その当時はSCSとクレクレの個人間の繋がりも薄まってきてた時期だったんでしょうか?
僕のときはそうだったと思います。当時はOBの方がむしろ繋がりは強かったですね。だからなかじとはもう本当に、その交流ライブの話があるまでは、同期だったんですけど面識もなかったんです。
SCSとクレクレが、お互いを「すごいサークルだ」と認識するイメージはありつつも、特に個人の交流が盛んなわけではなかったという感じだったと思います。
なるほど。最初松田さんや亀井さんがいらっしゃったときの繋がりが少しずつ薄れてきた頃に、お互いが自分のサークルのレベルに危機感を持ち始めて、そんな時にちょうどのタイミングでサークル同士の交流が始まったんですね!
Chapter4:お互いのサークルの印象
アプローチの違い
交流会が始まって、お互いのサークルに対するイメージに変化などはありましたか?
合同ライブをやってみて、音楽の作り方がお互い全然違ってて面白い!と思ったのを未だに覚えています。クレクレはリズム隊(ベースとボイパ)でノリを作って、そこにコーラスが乗っかるみたいなアプローチで曲を作るバンドが多いんですけど、SCSはコーラスがノリを作って、ベースパーカスがそれを支える・添えるようなイメージで。打ち上げでSCSの人に「ベースパーカスがめちゃくちゃ上手い人が多くてすごい」みたいなことを言われたし、僕らは僕らで「いやいやコーラスでなんであんなにハモってあんなにノリを出せるんですか」みたいな話をしました。
自分たちのやってきたアカペラとはちょっと違うアプローチを見せられたなっていう話をしてたのを覚えてますね。
ちょっと割り込んでいいですか?それ私も絡んでたんです。
そうなんですか!
1995年頃、チキンガーリックステーキっていうバンドが神戸の方でプロとして活躍していて、あそこの編成が、まずベースとパーカッションがゴリゴリにリズムを鳴らして、あとはリードが普通に歌ってコーラスは脇役みたいな構成が多かったんですよね。さらに私がクレクレでやってたサウンドがやっぱりそっち系で、ベースとパーカッションがまず作ってもらわんと話にならんみたいな感じで私もやってたんです。
なるほど…!
逆にSCSの方は、コーラスがスキャットで刻んでリズムを出してて、ベースとパーカッションはあんまり存在感ないんだけど(笑)、その代わりコーラスのアレンジが「これほんまに素人の楽譜か?」と思うくらい凄い。だからそれぞれのサークルで、先輩の演奏を聴いて「あれやりたい」「あれカッコいい」みたいなのが脈々と残っていったのかな?
仰る通りだと思います。先輩から「こういう風に作るんだよ」と言われたことはないんですけど、やっぱり後輩は憧れるので、先輩たちの作ってきた音楽っていうのは大きいですね。僕の頃には完全にそれぞれのサークルのカラーが出てました。
影響を受けた「アメリカ流」、真似できない「嘉一郎さん」
付け加えてもいいですか?ある時アメリカ人が京大に遊びに来て、アメリカ流のボーカルパーカッションを披露してくれたんです。Rockapellaの出身大学の後輩の方だったんですけど、それを聴いてみんなが衝撃を受けて、他のサークルでは考えられないくらいすごい人数が突然ボイパを練習し始めたんですよ(笑)。
「本場のやつ見ちゃった!」というインパクトが凄かったのが想像できます!
技術的なことを言うと、バスドラムとスネア両方に有声音を混ぜるんですよ。当時はみんな基本無声音だけでやってて迫力が出せなかったんですけど、アメリカから来た彼が全部に有声音を混ぜることでかっこよくやってたんで、みんな「俺もやる」となって、女の子もやってましたね。それが多分、1996年頃やと思う。
世間的にはボイパが浸透したのはハモネプの第1期からだと思うので、クレクレではそれより前からボイパの存在価値が見出されていたのは面白いですね。
ただSCSには北村嘉一郎っていうお化けみたいなのがいて、あのすごいのを聞いてるのに真似しようと思った人が出なかったのはなんでなんだろうなとちょっと思いました。彼めっちゃ教えてくれるやんな?でも、できないのか…。
嘉一郎さんはすごすぎて真似できないんです(笑)。尋常じゃないんですよ、掘り下げ方が。
今色々「違い」の話が出てましたけど、逆に同じものを共有する部分もあるなっていうのもあって。やっぱりSCSに所属なさってた方がクレクレを作ったので、「流れる血が一緒」みたいなところがあると思ってて。交流ライブ2回目のときに「合同バンド」っていうのをやったんですよ。当日集まってその日が初顔合わせのメンバーで歌う企画だったんですけど、「ゴスペラーズのこの曲でいこう」「TRY-TONEのこれやろう」って言ったらパッとハモれちゃうんです。お互いにルーツが一緒だから、基礎が一緒というか。
「共通言語」があるから、交流会が盛り上がりましたね。それこそなかじとやった企画で、ありとあらゆるプロアカペラの曲を50曲ぐらいメドレーにして歌ったことがありました(笑)
あったあった!1小節ごとに曲が変わるという(笑)
なにそれ!聴いてみたかった〜!
「あの曲のあの部分だ!」みたいに盛り上がれる、そういう意味での共通言語は確かにありますね。
ルーツが一緒だからこそ、その前提となる基礎の部分はお互いが持っていて、その中でもイメージとして「リズムが強い」「コーラスが強い」という違いにも気づいて、馬が合ってそのまま恒例化していったということですね!
Chapter5:現役生のつながり
今は「リモートでクレシン」
ここからは現役生の方にうかがっていきたいのですが、近年のコロナ禍もある中で、交流会は今も続いていますか?
対面の交流会はできていなくて、Zoomでやっています。「クレシン委員」という交流会の実行委員があるんですけど、そのメンバーが「この日にあるからアクセスしてね」という感じでお互いサークル員を集めて、年に2回やってます。
時期としても、夏と冬に1回ずつやるっていうのはずっと変わらず今でも続いている感じですね。
コロナの影響を受けて交流会の内容がどんなふうに変わったのかが気になります。
僕がいた頃は、先ほど中島さんと川崎さんが仰っていた形で、「シャッフルバンド企画」「正規バンドのライブ」「レクリエーション大会」プラス打ち上げみたいな内容で交流してたんですが、今どのようになっていますか?
今はそれがライブ以外が全部オンライン化したっていう感じです。班ごとにZoomで集まってレクリエーションのゲームをやったり、シャッフル企画バンドでリモートアカペラの動画を作ってみんなで鑑賞会をしたり、それぞれの正規バンドの演奏動画を見たりする会になっています。その時に同期同士とかで友達になって、その後関東でイベントがある時にクレクレのメンバーが来てくれて、実際に会って歌ったり、一緒に飲んだりみたいな感じですね。
CrazySymphonyもありつつ、それ以外でも個人的に交流をされたりする人もコロナ禍でもあったっていう感じなんですね。レクリエーションってオンラインだとどんなことをしてるんですか?
人狼ゲームとかをやってました。
交流会には全部で何人ぐらい参加されてるんですか。
2022年のクレシンだと、50人くらいだったと思います。
オンラインで50人ってのはすごいですね。
今気づいたんすけど「クレシン」って略すんですね!そういう略称は僕の頃はなかったので、定着してる感じがして嬉しいです。
シャッフルバンドの話があったと思うんですけど、リモートだと同時には歌えないですよね。
そうですね。シャッフル企画は、何ヶ月か前にバンドが組まれてLINEグループができて、「誰々がこういうの持ってるけどやりますか?」みたいに選曲を話し合って、決まるとMuseScoreのデータが送られてきます。それをパソコンで再生して、イヤホンで聞きながらスマホで録音していきます。映像もそれぞれで撮って編集します。
交流会で映像も作るってすごいですね!
一つの作品ですよね!
コロナ禍による活動制限の中で
今後対面での交流会が再開される見込みはありますか?
クレシン委員の会議がどうなってるかわからないんですけど、早稲田は合宿の許可も今年の夏休みぐらいに出て、打ち上げも大丈夫ですみたいなアナウンスが出たので、多分頑張れば動けるんじゃないかと思うんですが…。
京大が結構コロナ対策のルールが厳しいんですよ。練習場所がないみたいなのを結構前に聞いて。たしか他の大学の人が構内に入れないというか。
そうですね。他大学のサークル員もいるのですが、京大の構内で練習できないなど、活動が規制されている状態です。
早稲田の場合は、コロナ禍の最初の1年はすごくルールが厳しかったんですが、多分学生から不満の声が集まって、それで空調や換気の設備にめちゃめちゃお金をかけることで制限が緩和されてきました。今までのように階段とか空いてるスペースで歌うことはできなくて、音楽練習室を予約する形にはなっていますが、活動はできてます。
なるほど、本当にお互い活動が制限されたりとか、リモートになったりっていうこともありつつも、交流自体はなくならずに、ずっと今でも続けられているんですね。
現役生から見たお互いのイメージ
最後にお聞きしたいなと思うんですけど、今の現役生として、SCSとクレクレのお互いのイメージはどんな風に見えていますか?
他のサークルと比べて、SCSとクレクレはちょっとニッチというか、プロアカペラのコピーをたくさんやっていたりして、あまり流行に乗るって感じではないのが特徴かなって思ってます。
今おっしゃってくださった通りかなと思いますが、個人的にSCSの方の演奏動画からすごく刺激を受けているので、ここ数年コロナ禍で満足のいく活動ができなかった分、クレクレとしてはSCSとの実地での交流会なども含め、できるだけ前に進んでいきたいです。
本当に、早くコロナ禍が終わって、思う存分活動できるようになりたいですよね。皆さん今日はありがとうございました!
おわりに
サークル概要
編集後記
これまでハモヒスで多くの方々にインタビューをしていく中で、SCSやクレクレの名前は何度も耳にすることがあったのですが、そのような、アカペラの歴史を語る上で欠かせない2つの大学サークルの交流の歴史を直接お伺いでき、とても貴重な経験になりました!今後、この2つのサークルが時代の変化と共にどのような発展をしていくのか、とても楽しみです。この度はご協力いただきありがとうございました!
自分がサークル現役の頃から「SCSはコーラス」「クレクレはリズム」というスタイルの違いがあることは聞いていたのですが、今回のインタビューでそれぞれのスタイルが定着するまでの流れを垣間見ることができました。SCS・クレクレの先輩方と現役生の皆さんからお聞きしたエピソードはどれも驚きと発見があり、交流の歴史の長さと関係の深さを感じました。貴重なお話を本当にありがとうございました!
今回は議事録を担当させていただきました。ベースとパーカッションでリズムを作るクレクレ、コーラスでリズムを作るSCSというのはとても納得できるのですが、そのルーツを伺うことができ、また、古い時代からの交流の様子なども大変興味深いお話でした。改めて、歴史を語り継いでいくことの重要さを認識しました。皆さん、本当にありがとうございました。
ハモヒスへの協力依頼
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