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“アカペラが新しかった時代”を語る【ハモヒスインタビュー#6 前澤弘明さん②】

インタビュー ハモヒス

こんにちは!AJP編集部のわくです。

アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmory-History(略してハモヒス)」。「日本初のアカペラグループ/関西アカペラの父」と言われている「チキンガーリックステーキ」のメンバーである前澤弘明さんへのインタビューの内容を全3回に渡ってお送りしています!

インタビューの様子(2020/12/28)

2回目の本記事では、オリジナル曲やパート編成、そして1995年の阪神・淡路大震災で考えたことなどのお話を紹介します。

本記事は第1回の記事の続きとなっておりますので、まだお読みでない方はそちらを先にご覧ください。

コンテストがきっかけで作り始めたオリジナル曲

SIN
SIN

チキガリさんはオリジナル曲も作り続けていますよね。今は「アカペラでオリジナル曲」はハードルが高いという学生も多いと思うんですが、プロとして作曲に対する意識はあるんでしょうか?

そんなたいそうな話ではないねん。最初はアカペラしたいだけやったから、何でも良かった。オリジナルを作ることにしたのはコンテストのためで。

前澤
前澤
わく
わく

なるほど!

1990年代前半はアカペラのコンテストはないから、普通のバンドコンテストに出たんだけど、一等のバンドはみんなオリジナルやった。それにバブリーやったから、賞金があったわけ(笑)

前澤
前澤
SIN
SIN

そこからなんですね!(笑)

コンテスト出て賞金もらえたらラッキーやん!っていう(笑)。まずアカペラ曲を作って応募したんやけど出来が微妙で、次のコンテストでは、チキガリをやる前にリーダー(川上伸也さん)がオリジナルを歌う楽器のバンドをやってたから、そこの曲をアカペラアレンジして出したわけ。

前澤
前澤
SIN
SIN

へー!元は楽器だったものを。

そしたら優勝して50万ももろた。バブリーだからね(笑)。そこで「オリジナル曲って喜んでもらえるんだ!」と。

前澤
前澤
わく
わく

そういうきっかけだったんですね!

アカペラができて、お客さんに喜んでもらえるのが一番大切やから。例えば営業なら「カバー5〜6曲、最後に1曲オリジナル」でもいいし、ワンマンなら全曲オリジナルでもいい。特に「こうでないと」というこだわりはなくて。

前澤
前澤
SIN
SIN

本当に純粋な「アカペラグループ」ですね!そこに曲がついてくるというか。

メロディーが良くて、歌詞がちゃんと伝わる曲をやりたい。カバーかオリジナルかに関係なくね。

前澤
前澤

チキガリのパート編成とRockapellaイズム

わく
わく

チキガリさんはボイスパーカッションについてはどのように考えてらっしゃいますか?

ボイパが必要な曲とそうでない曲があるから、ボイパありきのアレンジにはしないよね。ボイパはハマちゃんとリーダーとあっちゃん(渡辺敦さん)の3人おるから、曲によって使い分ける。

前澤
前澤
Shige
Shige

すごいですね!

ボイパに限らず、みんな曲によってパートが変わる。カバーでもオリジナルでも、どうしたらお客さんが聴いて一番気持ちええサウンドになるかを考える。ボイパの原点は、RockapellaのHumanBeatBoxを観て、「これアリやな!」というところからやね。

前澤
前澤
SIN
SIN

いろんな人に聞いても、その頃「ボイパ」っていう意識(概念)はなかったそうで。

そう。パーカッションがやりたくて始めたわけではないから、今でもボイパは「あったほうが良い曲だけ入れよう」っていう。学生さんの演奏を観て、「別にボイパなくてもええんちゃうん?」みたいなのはよく思うよね。KAZZがチキガリの一回目のメンバーチェンジのオーディションに来たときもコーラスパートやったし。

前澤
前澤
SIN
SIN

KAZZさんがオーディションに来たときはチキガリにパーカッションという要素はなかったんですね。

なかったね。僕らが5人から6人になった時に、今までの5人の曲にボイパ入れれば成立する曲はありにする。それが手っ取り早くレパートリー増やせるから(笑)。Rockapellaも4人だったところにボイパを足したわけで。新たにアレンジする曲はボイパ有りか無しかを考えてから作るという感じやね。

前澤
前澤
SIN
SIN

チキガリの中にRockapellaが生きているのがすごく面白いですね!

最初の頃めっちゃRockapellaのコピーしとってん。彼らが初来日した時、チキガリのオリジナルTシャツをツアースタッフに渡したら、本人たちがそれ着て出てきてくれた。で、「僕らコピーしてるんで今から歌わせて下さい!」と言って本人たちの前で歌ったの。

前澤
前澤
わく
わく

お〜!!すごいですね!

楽しかったよ!向こうも嬉しかったんだと思う、めっちゃニコニコしてはった。

前澤
前澤
Shige
Shige

すばらしい…音楽を通した国を超えた交流!

その延長線上で、幾見さんのプロデュースでPhew Phew L!ve(前回記事参照)が甲子園球場のイメージソングを作るっていう話が出て。これ今でも流れてるらしいね。

前澤
前澤
SIN
SIN

すごいですよね!

だから(試合前の)早い時間から来る阪神ファンの人は、アカペラで流れてるのを知ってるはず。

前澤
前澤
SIN
SIN

面白いですよね。Rockapellaが大好きすぎる西村さんが、そのRockapellaをプロデュースした幾見さんとそこからずっと繋がっていらっしゃいますもんね。

幾見さんの影響は大きいよね。

前澤
前澤
幾見さん幾見雅博さん。音楽プロデューサー、コンポーザー、ギタリスト。アカペラ界ではRockapella、RAG FAIR、INSPi、Baby Boo、Phew Phew L!veなどの作品をプロデュースした。

関西以外のグループとのつながり

Shige
Shige

他の地域のアカペラグループとは交流があったのでしょうか?

関東とのつながりで言うと、チャリティーで作った「」っていうアルバム、知ってる?

前澤
前澤
SIN
SIN

はい、持ってます。

1999年9月21日に起きた台湾大震災”921大地震”を受けて制作されたチャリティーアルバム
(アカペラ収集家・SINの私物より)

よぉ〜知ってんな〜!すごいな!(笑)。このアルバムめっちゃすごいよね!メンツが。

前澤
前澤
SIN
SIN

すごいです。チキガリさん、Phew Phew L!veにTRY-TONE

香港好運がおって、あと…

前澤
前澤
SIN
SIN

Velvet Paw、Vocal 7th Beatも。

なつかしい〜!Velvet Pawは岡山のグループでけっこう仲良かってん。めちゃうまかったからなぁ。TRY-TONEと同じくらいちゃうかな。

前澤
前澤
わく
わく

すごいですね!他に交流のあるグループはありますか?

Be in Voicesやね!僕らがアマチュア時代に大阪音楽大学の学園祭にゲストで行った時に彼らは学生だった。そっからずっと今でも仲良し。

前澤
前澤
SIN
SIN

ゲストと学生!すごい縁ですね!Be in Voicesは韓国との交流もありましたよね。

ユン君(Be in Voicesのユン・ファソンさん)はバイリンガルやし。今の朝ドラでもトランペットやってる二刀流やもんね。(NHKの連続テレビ小説「おちょやん」の劇中音楽のトランペットをユンさんが演奏している)

前澤
前澤
SIN
SIN

NHKの韓国語講座にも出てましたよね。

アカペラが新しかった時代

Shige
Shige

NESTの西村社長がアカペラグループを作ろうと思ったのは何かきっかけがあったんですか?

実は西村さんが主導で集めたわけではなくて、リーダーの川上さんがコーラス好きで、だったら楽器置いてアカペラやろう、ということで西村さんが動いたんだと思う。

前澤
前澤
SIN
SIN

以前西村さんに「楽器をやっていて途中でアカペラで歌ったらウケが良かった」とは聞いたことがありました。

チキガリJr.(前回記事参照)を作るあたりで「商売になるかも」と考えたんじゃないかな。チキガリが結成3年ぐらいで結構ファンと営業を獲得できたからね。

前澤
前澤
わく
わく

そうなんですね!

当時はイベンターさん達が新しいネタを求めていて、アカペラもその1つになった。1つの主催者に競合するイベンターさんがみんなチキガリをプレゼンしたなんて話もあったなぁ(笑)。

前澤
前澤
わく
わく

それはおどろきです!(笑)

Shige
Shige

当時はどんな場所で演奏されてたんですか?

僕らは1990年12月2日に三宮の東急ハンズの前でストリートライブをやったから、そこを結成記念日にしてる。僕らが歌ったら人垣ができてね(笑)。その後はライブハウスとかイベントで歌って「ええやん!」ってなって。

前澤
前澤
Shige
Shige

すごいですね!

チキガリにとっての阪神淡路大震災

Shige
Shige

1990年から続く神戸を中心とした活動の中で、1995年の阪神淡路大震災というのはどのようなご経験でしたか?

当時は携帯もないから、地震から1週間くらい経ってやっとメンバー全員元気だと分かった。2月のライブは無理だけど、3月の大阪のライブは何が何でも集まって(来てくれたお客さんに)自分らが生きてる姿を見せようと思って、なんとか大阪行ってライブをやったんやけど。

前澤
前澤
わく
わく

その時はどんなことを考えてらっしゃいましたか?

「がんばっても何ともしようがないものってあるんだな」とか「次頑張ったらええと言うても、その”次”はほんまにあるのか?」ということを思ったね。だから「死んでも残る作品」を、形(CD)として残していこうっていう部分に繋がっていった。

前澤
前澤
SIN
SIN

すごい!今に繋がりました。

あと、僕は教師だったから、生徒の進路相談を受けては励ましていたわけ。でも仕事で出会った予備校の先生が言っていたことを思い出してね。「自分は安全圏にいながら無責任に生徒を励ますのは何か違うんじゃないか」という気持ちがあって。

前澤
前澤
わく
わく

自分の生き方を見つめ直すことにもなったんですね。

だからメジャーデビューの話が出た時「やってみよう」と。(教師とメジャーデビュー)どちらもやりがいがあるんだけど、そこで種類の違う道に進んだんだよね…なんか、答えになってるかな?

前澤
前澤
Shige
Shige

はい!哲学的な部分まで踏み込んだ、アカペラーみんなに聞いて欲しいお話でした!

次回のお話

まだまだ貴重なお話が続きますが、今回はここまで。次回は前澤さんインタビュー最終回。2020年以降、コロナ禍を経て感じていることなど、今だから伝えたいメッセージをお届けします!

前澤さんが所属するチキンガーリックステーキの情報は、公式ホームページのほか、ブログTwitterYouTubeでも発信されているので、是非ご覧ください!

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