こんにちは!AJP編集部のSINです。
アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmory-History(略してハモヒス)」。今回は、ボーカルグループとしてデビュー、現在は『うたごえ喫茶』を活動の中心にレジェンド「ボニージャックス」の後継者として名高い「ベイビーブー」のメンバーである瀬川忍さんへのインタビューの内容を全2回に渡ってお届けします!
第1回は、『瀬川さんのアカペラに触れたきっかけ』と、『ベイビーブーとの出会い』についてお伺いします!
瀬川忍さんの紹介
1977年生まれ・大阪府出身。大阪音楽大学作曲学科卒業。ボーカルグループ・ベイビーブーのトップテナーとしてメジャーデビュー。 2009年にアカペラ✖️クラシック「アカペラカンタービレクラシックス」の代表理事としても活動。主な著書として「音域が広がるヴォーカルトレーニング」(永岡書店)がある。(Twitter)
ベイビーブーの紹介
「『ホンモノ』をつくる」を合言葉に1996年より神戸を拠点に活動を開始する。2002年「プラネタリウム」でメジャーデビュー。キットカットとのコラボやネスカフェゴールドブレンドのCM曲でも話題となる。近年では「うたごえ喫茶ともしび」を中心に活動を移し、同じく正統派コーラスグループ「ボニージャックス」に師事し活躍の場を広げている。
ベイビー・ブーオフィシャルHP
インタビュアーの紹介
Vocal Asia日本支部代表。アカペラ界一のムーミンマニア(自称)。
Twitter / Vocal Asia
群馬のアカペラー兼イベンター兼アカペラCD収集家として活動する社会人。
Twitter
名古屋在住のアレンジ大好き社会人。プロフィール
中学生の時にTAKE6に会っていた!!
まずは、瀬川さんがアカペラを始められたきっかけを教えていただきたいです。
まず、生まれた時の話しちゃっていいですか?(笑)
もちろんです!(笑)
僕は1977年の1月生まれで今年44歳になります。家族がクリスチャンで生まれながらに讃美歌を歌ってました。その流れで家族で教会でも歌うことがよくありました。そうすると、家族の持ち回りでミニステージみたいな事をするんですよ。兄弟もいるので、4声でハモったり。まぁアカペラをする人の中では恵まれた家庭だと思います。
ご家族でなんて羨ましいです!
中学もキリスト系列で、ロックは悪魔の音楽だから歌っても聴いてもダメで。例えばローリングストーンズとかね(笑)
ロックが聴けないなんて・・(泣)
そう、賛美歌が中心だったりしてね。その頃代々3年の先輩がカルテットを組んで歌っていたのを1年生の時聴いて、シビれてね、自分達も真似をして仲間を集めて中学2年の時に組んで歌ってました。
その頃からメンバー集めを!?
そう。まだ変声期じゃないから、ベース見つけるのが大変でした。「こいつは声が低くなりそうだ」なんて声かけて、中2くらいで低くなると「やった!」ってね(笑)
ははは!!(笑)
学校の放送では『If We Ever』が流れていて、それを聴いて憧れて練習してましたね!
ある時TAKE6がカバーしているのを聴いて、「カルテットからあと2人増えたらこんなに変わるのか!」と感動しました。これが今後の自分に大きく影響があったんだと思います。
TAKE6は聴いて大丈夫なんですね!
学校でもこれは讃美歌だからOKだったんです(笑)
それでね!実はその時代にTAKE6に会った事があるんです。
えっ!TAKE6にですか!?
キリスト教って色々な宗派があるでしょ?僕の学校はプロテスタントで、土曜日には礼拝をするんです。そこで僕の行っていた教会はTAKE6と同じ宗派の教会だったんですよ!
わー!何という運命的な!
だから僕達も中高同じ学校で結成しているので、そのうちTAKE6みたいになれるんじゃないかと思ってより身近に感じましたね。
なるほど!
だから、彼らがブルーノートとか日本に来ると土曜日に地元の教会に来ていたりして、中学生の時に会わせてもらったりもしたんです。
えーーー!!??
TAKE6は教会員だから、賛美歌を歌う時は ベースのアルビンがピアノを弾いてジョイが歌うとか。全員は来なかったんですけど。 「今日は三人だからちょっと歌うね!」みたいな感じで生で聴いたり。
羨ましい!!最高ですね!
そこからTAKE6が大好きになってね。でも楽譜もないし、聴いた曲を耳コピして当時はMTR(マルチトラックレコーダー)に一人で重ねて歌って研究しているような寂しい学生でしたよ(笑)
うんうん。
それでね、学校の伝統で上手いグループが全校の前で呼ばれてね、みんなの前で歌ったりして、もうライブな訳ですよ。だから、いっぱい練習して上手くなる事を追求しましたね。だって、それが一番モテる近道だったから(笑)
あははは!!
で、その時に組んでいたグループはほぼチェンジなく中高6年間続いていたんです。
すごい…
僕がリーダーで厳しいグループだったんです。夜の9時までが勉強時間で、9時から10時半までが寝るまでの自由時間なんですけど、 9時から9時半の30分を、必ず何があっても練習しようって決めて、いつも勉強終わったら 集まって30分練習する、みたいなことをずっとやってましたね。
練習の曲はTAKE6だったんですか?
流石にTAKE6は難しくて、元々学校にある賛美歌やキングズ・シンガーズなど歌ってました。
長くメンバーと過ごす事で、これが自分にとって大きな財産になりましたね。段々とメンバーの気持ちが分かるようになってきて、「今日振られたんじゃないか」とか分かったり(笑)
心が通い合ってますね!
やっぱり辞めずに続けるって大事だなと思いました。だから、上手い人集めて2年目よりも、みんなで一生懸命やってきた15年目のほうが、絶対上手い下手じゃないところの良さってあるから。 それを6年間ですごく感じましたね。
続けるって大変ですが、大事ですよね。
僕はね、吹奏楽もやっていてトランペットなんだけど、なんとなく音楽の道に進めたらいいなぁ〜って思ってたんだよ高校生くらいで。
トランペットもされてたんですね!
進路相談で先生に、「音楽の道に進みたいんやけどトランペットしかなくて…でも、練習は上手くいくのに何故か本番で失敗しちゃうんです。」と相談したんだよ。
うんうん。
そしたら先生が「そうか。なら一個だけ音楽のジャンルでやり直しの効くのって知ってるか?作曲したらどうや?」と言われたタイミングで、同級生のピアノの上手い女の子から「音楽の道を諦めるのでこれあげる。」って本をもらったんです。
すごいタイミングですね!
それが作曲について書かれている東京芸大の『芸大和声』って本だったの。
ほーー!
音楽ってさ、それまで自由だと思ってたんだよ。でも、ページを開いてみると「あれやっちゃダメ!これやったらダメ!」禁止禁止ばっかり(笑)それで、禁止を避けながら楽譜書いてみたら、すごく綺麗でね。実はこれは、ベートーベンやモーツァルトとかが作曲している時に避けていた事が書かれていたんですよ。まぁ、音楽入門の作曲本かな。
なるほど!
これが、アカペラのアレンジをしている時も、使えることが多くて。それを守ってやったらそれはそれは美しいものになったんですよ。
今の活動に繋がりますね!
これからアレンジをしたいと思ってる人がいたら、和声学を学んだらいいと思います。
高校卒業後は大阪音大の作曲学科に進学されたのですか?
そうそう。そのときはまだ、声楽をしようとは思ってなかったんですよね。でも、そこに上手そうな人が居たら集めて最強のグループを作ろうと思ってたわけ(笑)
宝の宝庫ですもんね!
クリスマスの時期に歌ってみようと思ってメンバー集めたんだけど思ってたのと全然違って。ソリストが集まるとやっぱり何か違ってて、その時に一切歌はやめておこうかなと思ったんですよね。
ベイビーブーに入ったきっかけ
大学2年生の時に、プロ野球の日本代表とアメリカ代表がシーズンオフに日本に来て、 試合してSHOWを見せ合うみたいなやつがあって、当時、野茂英雄のトルネード投法とか流行っててね。
懐かしい!トルネード投法!!
その野茂英雄がアメリカ代表で来る。しかもバッターが清原だっていうじゃない。甲子園でやるし近くだから行ったんですよ。
それは面白い試合ですね!
試合はもちろん面白かったんだけど、7回の時に「ただいまより、アカペラグループPhew Phew L!veのSHOWがあります。みなさま大きな拍手を!」っていうじゃない。
来ましたね!ヒューヒュー!
なんや!この神聖なスタジアムにと思ったら。ばーっと端から出てきて「Take me to the Studium」って曲をアカペラで歌って踊るわけよ。
その頃のPhewPhewL!veは激しかったですよね!
それまで賛美歌しかやってなかったから、初めてボイスパーカッションとか知ったし、本当に衝撃を受けましたね。
アカペラってすげー!って野球そっちのけ(笑)
野茂VS清原はどこいった?ですね(笑)
それで、こういうグループならやってみたいなと思ってね。インターネットで検索したんですよ。
そうなんですね!
そしたらアカペラ掲示板ってのが唯一見つかって、僕は関西じゃないと活動できなかったんで探してみたんです。そしたら、甲子園で見た「Phew Phew L!ve」がメンバー募集してて、『歌って踊れる人募集』って書いてあったんだけど、踊れないから簡単に諦めてその下をスクロールしてみたの。
後のAcappella.co.jp。当時唯一のアカペラ専門サイトであり、国内外のアカペラ情報やメンバー募集がこのサイトひとつで成立した。
渡辺悠氏(香港好運・アルケミスト)が管理人。
ふむふむ。
『BabyBooメンバー募集 ベース募集』って書いてある。「あっ!こっちは踊らなくていいんだ」ってすぐコンタクト取ったら、リーダーのKazzと会う事になったんです。
後から聞いた話だけど、その時Baby Booには作曲ができる人がいなくて、『音大の作曲できる奴が来るから逃すんじゃないぞ!』ってあれよあれよと(笑)
即戦力だったんですね!
そやね(笑)で、グループに入って、ライブとかすげー楽しくて。このままやっていくのかなとボヤっとしてたけど、根拠のない自信もあって東京行ってプロになってって思ってて。親も特に反対せずに、それからずっと、今日に至るということですよ。
凄いです。本当にプロになってますもんね!
今思えばあの時、渡辺悠君がアカペラ掲示板を作ってくれていなかったら、 BabyBooにも出会えてなかったし、こういう事はなかったよね。本当感謝だよね。
ほんとにメンバーチェンジが沢山あって、その時に、ボイパとベースとボーカルを抜いてドミソを歌う3人が欲しくて。6人いないとダメよと言ってメンバーを集めて、僕は最初はベースではいったんやけど、ちゃんとしたベースを入れようとユウに入ってもらって。実はユウは高校の先輩やったんですよ。この先輩かっこいいなと。それで、連絡して来てもらって。
他のメンバーは何かそういった関係があったんですか?
他は、他人から始まって。色々入れ替わりをする中で、当時KAJaをみてメンバー探すのが恒例行事になってて(笑)それで、ユースケが大谷大学のFIEASTASと言うグループに高校生で入ってて、歌声が好きだなと。それで、「良かったらBabyBooに入らない?」と口説きましたね。
KAJa!でスカウト!
あとは、東京に行くと楽器屋とか音楽スクールに張り紙をしてもらったり。バックストリートボーイズみたいな、BoyzⅡMenみたいな、TAKE6みたいな事やります!って。(笑)それで偶然、チェリーが張り紙をみてくれて。それでヴォーカルとして入ってもらって。
それで、僕のパートをくじ引きで決めようとなって。で、トップに決まって、あとはバリトンを探そうとして、ケンが加入したんです。
くじ引きでパート決めって神頼みですねw
ちなみにケンさんは大学のサークルだったんですか?
ケンは全然違うのよね。 神戸のCHASH BOXっていうライブハウスの 小屋付きで音響をしている、ヒューヒューとかの事務所 の人だったんですけど。その人が BabyBooに、もしかしたらフィットする男性ボーカルおるかもしれへんよって その人が紹介してくれたの。
それで2002年にメジャーデビューしたと。その中で印象に残ってることありますか?
ちょうどデビューするかどうかの時にハモネプブームが来て。色々グループがある中で、誰が先にデビューするんかなと様子の探り合い。アカペラの波に乗るのも良かったんですが、ブームが終わった後を色々考えた結果。アカペラじゃなくてボーカルグループとしてデビューしようとなったんですよ。
たしかに、デビュー当時から見てましたが、デビューするぞ!バックに音楽流れたぞ!おお?ってなりましたね。アカペラじゃない。みたいな。
アカペラのファンとして見てくれてた人には裏切りというか、申し訳ない気持ちはあって。
アカペライベントに呼ばれても、一回楽器付けた時点でアカペラって言っていいのかな?って。(笑)
確かに当時は、楽器がついたらアカペラじゃないって風潮でしたね。
でも今はこうやって僕らに興味を持ってくれる人達がいる事は「良かったな。」「ベイビーブーを長く続けてきてそういう風に成長したんだろうな」って、すごく嬉しいですよ!
色々なグループが今でもベイビーブーの曲を歌っていますよね!
本当にありがたいですよね!『星のスニーカー』とかは特に歌ってくれてて。CDにも未収録なのに(笑)
昨年、本家が『星のスニーカー』を歌ってバズりましたね(笑)
本物やーー!!ってなりましたね(笑)
今TwitterやYouTubeなどSNSも頑張っているんだけど、聴いてくれる人は同じくらいの世代の人が多くてありがたいんですが、学生のみんなにも聴いてもほしいですね!
次回のお話
まだまだ貴重なお話が続きますが、今回はここまで。
次回はアカペラカンタービレクラシックについてやボニージャックスさんとの縁、最後に皆さんへのメッセージをお送りします。
次回記事はこちら
また、瀬川さんが所属するベイビー・ブーの情報は、公式ホームページのほか、Twitter、Facebook、YouTubeでも発信されているので、是非ご覧ください!
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