アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmory-History(略してハモヒス)」。今回から、「日本初のアカペラグループ」とも言われるパイオニア的グループ「チキンガーリックステーキ」のメンバーとして活動されている前澤弘明さんへのインタビュー内容を全3回に渡ってお送りします!
1回目の本記事では、前澤さんがアカペラと出会った経緯や、アカペラがまだ世間に浸透していなかった時代のエピソードなどについて紹介します。
目次
前澤弘明さんの紹介
1963年生まれ。神戸発のアカペラグループ「チキンガーリックステーキ」のメンバーとして、1990年の結成当初から活動。2002年にメジャーデビュー。日本のアカペラ黎明期からプロのアカペラグループとして活躍を続け、国内外でコンサートやイベント出演を精力的に行っている。
インタビュアー紹介
筑波大学アカペラサークルDoo-Wop所属の大学2年生。
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Vocal Asia日本支部代表。アカペラ界一のムーミンマニア(自称)。
Twitter / Vocal Asia
群馬のアカペラー兼イベンター兼アカペラCD収集家として活動する社会人。
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楽器バンドからアカペラへ
今日はどうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、前澤さんがアカペラを始められたのはいつ頃だったんでしょうか?
僕が27歳の時です。西村さん(現NEST代表)から「アカペラグループを作るんだけど来ないか?」と誘われて。ちなみに、アカペラを始める前は教師として働きながら、趣味で楽器のバンドをやっていたんですよ。
そうだったんですか!
実は西村さんは、僕の高校時代のコーラス部の先輩で、僕がハモリ好きで楽器バンドをしてることも知ってて。
なるほど!
「アカペラってそんな簡単にハモるんか?」と思いながら見学に行ったら、良いメンバーが揃ってて、これならいけるんちゃう?と思って「やります!」と。
そのようなきっかけがあったんですね!
CDショップでアカペラを買いまくって勉強
西村さんからお誘いを受ける前に、アカペラを聴いたことはあったんでしょうか?
楽器バンドの時にBilly JoelのThe Longest Timeはコピーしたよ。
当時はどのようにして曲を探されたんですか?
当時(1990年頃)はCDショップで海外のアカペラ音源を探して買いまくったよね。今みたいにダウンロードとか個人輸入もできない時代だったし。
面白い!
そうやって買われたCDをカバーされたりしていたんですね。
そうそう。当時は西村さんが耳コピ担当でディレクションもして、メンバー5人が歌ってた。
そのグループはチキガリさんですか?
そう、そう!!
なるほど!
チキガリJr.(=Phew Phew L!ve)の系譜で数々のグループが誕生
チキガリさんは「関西アカペラの父」とも言える存在ですが、どんな流れでグループメンバーが変わって行ったんでしょうか?
チキガリが 3年目の時にトップテナーが仕事に専念するため抜けることになって、次のメンバーとしてハマちゃん(濱田康裕さん)とKAZZを僕が連れてきて。
うわ〜!そこでKAZZさんの名前が!
それで2人に練習に参加してもらって、トップテナーを探してたから声の高いハマちゃんに決定して。KAZZはここでは入れなかったんだよね。
そうなんですか!
でもKAZZも「アカペラがやりたいです!」と言っていたから、じゃあKAZZのために別のグループを作ろう!という事になって。
あ~!!
うわ~!繋がった!謎が解けました。
そのチキガリJr.に正式なグループ名が必要だという事になって、プロデューサーの西村さんが「ライブでヒューヒュー言われるようなグループになってくれ」という意味で「Phew Phew L!ve(ヒューヒューライブ)」と命名して。
すごい…伝説だ!
そういうことだったんですね!
そうですね。
そのJOとREEが抜けた後のPhew Phew L!veにKWANIさん(現ダイナマイトしゃかりきサ〜カスメンバー)たちが入ってきたんだよね。
すごいですね!
あとNESTの所属グループの中だと、Queen’s Tears Honey、Real Blend(後のRobStar Lobster)、宝船とか、僕らの後の神戸発のグループたちはほぼほぼ関係性がある感じだよね。
インターネット黎明期の中でサークルやイベントが立ち上がった
先ほどCDショップのお話がありましたが、1990年代は国内のアカペラ情報はどのように得ていたんですか?
昔はジャパンアカペラセントラル(以下JAC)っていうホームページでみんなが知り合うような狭〜い世界やってんなぁ。
そうなんですね、今では想像つかないです!
1998年頃、たぶんアカペラ関係のホームページはチキガリとJACしかなかったのかな。当時のアカペラ関係者はみんなJACで情報交換していたね。
その時代の最先端ですね!
会ったことがなくてもみんな(JACを通じた)知り合いやった。僕らの周りではセミプロが増えていって、大学サークルも次々にできて、関西の大学サークルの創設期のメンバーたちとはみんな知り合いやねー。
そこからプロに転向した人も多いですよね。
そうそう。INSPiもそうやもんね。
そういえば、関西アカペラジャンボリー(以下KAJa!)は初回からどれくらい経つんやっけ?
KAJa!の第1回が1998年ですね。
そうそう、僕ら第1回から出てるんやけど、当時は社会人がけっこうメインで。
KAJa!もJACでの交流から立ち上げたという話は聞きますね。
そういうので自然発生的に始めたんだよね。ちゃんと音響をして、大きい場所でやろうと。
CDを作り続けることの意味
チキガリさんは今でもCD作品を作り続けてらっしゃいますが、そこにはどんな思いがあるのでしょうか?
1998年にアマチュアとしてアルバムを出したんやけど、当時はCDプレスの工場が日本に2つしかなかったのね。
えー!!
だから死ぬほど高かったのよ!録音も、今なら家でも良い感じに録れるけど、当時はスタジオ借りるしかないし、エンジニアも呼ばなきゃいけなくて。あとオープンリールで録るのよ。アナログだよね!
1つの作品を作り上げるのに莫大な費用がかかるんですね。
そう、何百万も。今は「配信だけでもいい」って感じやと思うけど、当時は音楽が形に残るということにものすごい意味があって、ハードルが高かったんだよね。だから今でも「自分たちが死んでも形に残るモノを!」という思いで作っているよね。
すごく良い話…。
CDの中の冊子に書いてあるクレジットを読むと発見が多くて。この人ここにいたんだ!とか。それが楽しくてCDを集めてるところがあります。
たしかに、配信だと、ジャケットのちょっとした情報でおお!ってなることはないからね!
次回のお話
まだまだ貴重なお話が続きますが、今回はここまで。
次回はチキンガーリックステーキのオリジナル曲やパート編成、そして1995年の阪神淡路大震災を経験して考えたことなどのお話をお送りします。
第二弾はこちらから→“アカペラが新しかった時代”を語る【ハモヒスインタビュー#6 前澤弘明さん②】 | AJP編集部 – アカペラをもっと楽しもう。 (acappeller.jp)
前澤さんが所属するチキンガーリックステーキの情報は、公式ホームページのほか、ブログ、Twitter、YouTubeでも発信されているので、是非ご覧ください!
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