こんにちは!AJP編集部のらたです。
アカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmony-History(略してハモヒス)」。今回は「チキンガーリックステーキ」から始まった関西のプロアカペラグループの系譜で誕生した「シュガーズ」のリーダー・IWAjIさんへのインタビュー(全3回)の1回目をお届けします!
第1回は、IWAjIさんがアカペラに出会ったきっかけから、大学サークル時代の活動についてお伺いします!
目次
IWAjIさんの紹介
1986年生まれ・福岡県出身。福岡教育大学卒業後、神戸のアカペラプロダクションNESTに加入し、Sugar Style Spirit (後のシュガーズ) のメンバーとなる。現在はグループのリーダーとして、神戸を拠点にライブにこだわって精力的に活動中。学校の芸術鑑賞や、被災地支援の活動にも力を入れている。(Twitter)
シュガーズの紹介
伝説のアカペラグループ「Phew Phew L!ve」の解散後、メンバーだったHEROとU:KOを中心に「Sug@r6」として2002年結成。その後「SUGAR SIXX」「Sugar Style Spirit」「SugarS」とグループ名を変え、現在は「シュガーズ」として神戸のライブハウスCASHBOXを拠点に活動している。
シュガーズの公式HP
※本インタビューでは便宜上、結成から現在に至るまでの総称として「シュガーズ」という表記を用います。
インタビュアー紹介
筑波大学アカペラサークルDoo-Wop所属の大学3年生。
Twitter
群馬のアカペラー兼イベンター兼アカペラCD収集家として活動する社会人。
Twitter
名古屋在住のアレンジ大好き社会人。プロフィール
「口にドラムが!」ハモネプに大興奮
まず、IWAjIさんがアカペラを始めたきっかけや経緯をお聞きしたいです。
きっかけはやっぱりハモネプですね。中学3年の時に第一回が放送されて、おっくんにすごく衝撃を受けました。はじめて聴いたボイパに興奮して、ちょうど帰宅した母親に駆け寄って「お母さん!口に、口にドラムが!」って(笑)
笑笑笑
それから中学卒業まで、学校で誰にも聴こえないようにこっそり練習してたんです。そしたら卒業文集の寄せ書きに「ボイパ上手やね」って(笑)それぐらい自分の生活に浸透してました。ゴスペラーズも好きで聴いていたんですけど、「自分もアカペラやってみたい!」って思うようになったのはハモネプがきっかけだと思います。
確かに、初めてボイパを見ると衝撃的ですよね!当時、中学のクラスメイトでハモネプを見ていた人は多かったですか?
いたと思うんですけど、学校で「ハモネプ見た?」とか「一緒にやろうよ」という話題にはならなかったと思います。
セサミストリートの歌で「ブゥルルンババ~」
高校生になると周りにも「アカペラやってみたい!」という人が増えてきましたか?
僕は中学高校と吹奏楽部に入ってたんですけど、確か高校2年の時に部活の仲間が市販のアカペラ譜を見つけてきて「やってみようよ!」って誘われたことはありました。やはりハモネプの影響は大きかったですね。
練習した曲を発表することはあったんですか?
部活の仲間と発表する機会はなかったんですけど、音楽の授業で「好きなことを発表してOK」という時間があった時にアカペラを披露しましたね。
そういう授業があったんですね!
歌ったのは音楽の教科書に載っていた「セサミストリート」の歌だったかなぁ?アカペラじゃない楽譜になんとかコーラスをつけて発表したんです。
その時はボイパをされたんですか?
ベースを歌いました。ゴスペラーズの「こういう曲調好き」という曲の冒頭で、ベースの北山陽一さんが唇を震わせて「♪ブゥルルンババ~」って歌う所があるんですけど、それを「セサミストリート」の冒頭でやってみたんですが、クラスメイトに笑われてしまいましたね(笑)
なるほど!(笑)
だから、当時はまだアカペラがメジャーではなかったような気がしますね。
確かにボイパやベースボーカルを知らない人からすると「何だ何だ!?」ってなりますよね(笑)
そうですね(笑)あと、当時は僕自身も「吹奏楽部に入魂!」みたいなところがあったので、アカペラは遊び程度の感じでした。
先輩バンドのヘルプからアカペラサークルへ
その後、大学に進学してからも「吹奏楽をしたい!」という気持ちは変わらなかったのでしょうか?
当初大学でアカペラをやるとは全く思ってなくて。アカペラサークルの新歓コンパには行ったんですけど、すぐには入らなかったんです。福岡教育大学音楽科にサックス主科で入ったんですけど、入学してすぐに声楽に興味が湧いてしまい、最初は「俺は世界三大テノールになる!」「アカペラはまぁいいやっ」ってなってて(笑)
そうなんですか!
でも音楽科の先輩でアカペラサークル員の方がいて、その先輩が組んだ新しいグループが初ライブ1ヶ月前にしてメンバー1人が急に出られなくなったと。
え~!それは大変(汗)
その先輩から「1ヶ月だけサポートしてくれない?新歓の時に名前を書いてくれてたし、音楽科だからある程度できると思うし、どうよ?」みたいに言われて、「1ヶ月だけだったらいいっすよ!」っていう軽い感じで(笑)
へぇ~!
それで1ヶ月練習してライブ出たんですけど、結果がボロボロで先輩方がめちゃめちゃ凹んでいたんですよね。その時に高校時代の恩師の「失敗か成功かは次どうだったかで決まる」って言葉を思い出して、先輩に向かって「次っすよ!」ってなぜが僕が言ったんです(笑)
ハハハハ!(笑)
それから、あれよあれよという間にサークル活動が楽しくなって、三大テノールもそっちのけでのめり込んでいきました。
サークル創設者はカリスマだった
福岡教育大学のアカペラサークルってAcordeですよね。
はい。僕が入った当時はまだ新しくて、4年生に創設者の方がいました。笑いのカリスマみたいな先輩だったんですけど、もちろんアカペラもすごく上手で、その先輩が組んでたグループがKAJa!に出演したんです。
すごい!それって何年ぐらいですか?
僕が入ったのが2005年で、サークル設立は2002年だから…KAJa!にその先輩が出たのは2003~04年あたりだと思います。
2002年創設だから、ハモネプきっかけで立ち上がったんですかね?
そうです。その先輩は高校の時にハモネプを見て、「大学で絶対にアカペラサークルを作る!」と決意して、入学してすぐ4月にはサークルをつくったそうです。
そんなすぐに立ち上がるものなんですか!
速攻でメンバー集めて、顧問を付けて…という感じで始まったそうです。
勉強と感動の「KAJa!ツアー」
当時九州ではアカペライベントはあったんですか?
社会人がやっていたイベントで、確か「アカバコ」と言われていたイベントですよね。
そうです!あとは「小城羊羹」で有名な佐賀県の小城市という所で「おぎおん」というイベントがあって、アカペライベントだったかどうかは覚えてないんですけど、近場で参加できるコンテストって感じでした。
へ~!
あとは「KAJa!を観に行く」という企画がありました。当時うちのサークルは、あまり学外でライブしようというスタンスではなかったので、演奏といっても学内か近くのショッピングセンターのお祭りぐらいだったんです。今とは状況が全然違っていましたね。
全部学内で完結していることが多かったんですね。
だからこそ「アカペラが上手くなりたい」「外の世界に興味がある」「関西旅行がしたい(笑)」というメンバーがKAJa!を観に行く。僕は2年生から毎年行ってました。
KAJa!などライブの情報はどうやって入手していたんですか?
mixiかな?当時はmixiとモバゲーの全盛期でした。
まだスマホも出始めたばかりの頃でしたね!
IWAjIさんが行ったKAJa!は京都駅ビルの頃ですか?
はい。でも初めて行った時は雨天で、大階段じゃなかったですね。
出演グループは覚えてますか?
プロで特に印象に残っているのは、Cooley High Harmony、最初期のPermanent Fish(以下パーマン)、トリのSUGAR SIXXでしたね。
あ~!それは2006年5月のKAJa!ですね。SUGAR SIXXにMaLさんがいる頃の。
そうです!MaLさんのボイパソロのバスドラの音で京都駅がブォ~ン!!!!ってなって(笑)
スピーカーがうなるやつ!(笑)
一応勉強のために行ってたので、その時出演したバンドを全部ノートにメモしてました。Cooley High Harmonyは、宮本さんがサイボーグみたいで衝撃でした(笑)あと僕は基本的にパーマンファンだったんですけど、2007年のKAJa!で「もしも僕が」という曲を聴いて大号泣して更にどっぷりハマって。CDを買ってずっと聴いてました。
すごい!
だから、僕のアカペラアレンジのベースはほぼパーマンでした。今もシュガーズの楽譜を書いてますけど、初期の頃はすごくパーマンっぽかったです(笑)今ではパーマンっぽさは抜けて、シュガーズのスタイルになりました。どこがどうシュガーズ色なのかも自分なりにわかってやっていますね。
アレンジはメモと口伝!?
アレンジも大学の頃からやっていたんですか?
僕が大学の頃は市販の楽譜ってほぼなかったので、自分でアレンジしていました。
アカペラブームが過ぎて、出版社のアカペラ楽譜が減った時期がありましたね。
高校の頃はアカペラピースという1曲だけの楽譜が売られてたんですが、大学の頃には見かけなくなりました。あっても選曲が限られるので、自分たちがやりたい曲は楽譜を作るしかなかったんです。
サークルにはIWAjIさん以外にアレンジャーはいたんですか?
ほぼ各バンドにいましたね。
充実してますね!
逆に今ってどんな感じなんですか?
僕の所属サークルでは、サークル員100人中10~20人くらいアレンジできる人がいて、バンドにアレンジ担当がいなくても先輩にお願いできます。最近では、アレンジャーとして活動されている人に外注するバンドもありますね。もちろん自分たちでアレンジするバンドもあるんですけど、色々なパターンがあります。
なるほどね~!僕らの頃は、アレンジと言っても楽譜を書く人は少なかったかもしれないですね。カタカナで音だけ書いて、みたいな。僕も楽譜は書いてなかったですし。
メモとか口伝で、ということですか?
それに近いですね。
練習はどうやっていたんですか?
メモだけではアレンジャーの意図が伝わらないし音源もないので、ピアノがある音楽科の個室にみんなで入って、アレンジャーがメモを渡して、「ここはこのように…」とか、本当に口伝です(笑)それをICレコーダーで録音して持って帰ったり。
大学の音楽科という環境を活かしていたんですね!
色々なスタイルの人がいて、楽譜を書く人もいたと思うんですけど、ピアノを弾きながらメンバーに指示してその場で作る人もいましたね。
それも音楽ですよね!
メンバーで話し合いながら作ることもあったんでしょうか?
アレンジできる人間がグループに複数いることがほぼなかったので、「ああでもない、こうでもない」とはならなかった気がしますね。
IWAjIさんが見る九州のアカペラ界
その頃九州でつながりのあったサークルってありますか?
あんまりなかったですね。
九州大学にアカペラサークルなかったですか?
九州大学は、今の「HarmoQ」の前に確か別のサークルがあって、一回終わってるんじゃないかな。当時九大のサークルは活動が盛んじゃなかった印象ですね。
そうなんですか!今やHarmoQは大きいでサークルすけどね。
そうですよね。九州でつながりがあったのは鹿児島大学の如何様ライダーだけかな。九州で当時活動的だったサークルはこの2つぐらいだったと思います。
中国・四国地方とは交流はあったのでしょうか?
確かに。岡山は「アカペラの聖地」と言われていますし。
交流はなかったですね。それらの地域でもアカペラサークルは動いていたと思うんですけど、当時うちのサークルでは他サークルとの交流にあまり力を注いでいなかったという感じです。
わりと大学アカペラサークルあるあるですね。
アカバコがあったので、九州の社会人のサークルやバンドの方とは仲が良かったイメージがあります。
アカバコに出てたグループって鶏卵四男(ケイランフォーメン)とかでしたっけ?
そうですね!バーバーショップで、めちゃめちゃかっこよかったですね。あと少し前ですが、学生の間ではあまくさ(九州アカペラコンサートinあまくさ)がよく名前を聞くイベントって感じはしましたね。
僕も「九州のライブイベント=あまくさ」みたいな雰囲気を感じてました。
あまくさは背徳の薔薇がすごく活躍して、運営さんに気に入られて毎年のように呼ばれていますよね!
次回のお話
次回は、シュガーズのメンバーになった経緯や、アカペラのプロとして活動しながら感じてきたことをたっぷり伺います!
次回記事はこちら
また、シュガーズの情報は公式ホームページのほか、ブログ、TwitterやYouTubeでも発信されているので、是非ご覧ください!
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