2020年10月に発足したアカペラの歴史をまとめるプロジェクト「Harmory-History(略してハモヒス)」ですが、先日、RAG FAIRの元メンバーでありアカペラ内外問わず幅広く活躍されている「ボイパのおっくん」こと奥村政佳さんに記念すべき最初のインタビューをしてきました!
そのインタビューの内容を、4回に分けてお送りしていきます。
第3回の本記事では、大学時代のお話の続きや、RAG FAIRとしてデビューしてからのエピソードをご紹介いたします。
本記事は第2回の記事の続きとなっておりますので、まだお読みでない方はそちらを先にご覧ください。
大学時代、機材を使った練習はほとんどできなかった
前回は学生時代のお話をお聞きしましたが、学生時代のアカペラの練習方法とかは、今とはやはり違っていたのでしょうか。
基本的には変わらないけど、機材練が本番以外ではほぼできなかったの。大学の本部棟まで機材を借りに行かなきゃいけないっていうこともあったけど、Doo-Wopでは途中クレクレからお古の機材を譲ってもらいました。
そうなんですね!
でも基本的には音が響きやすい所で練習っていう、良く言えばTAKE6スタイルでした。今でも練習はその辺でやってるもんね?
そうですね、基本は教室で機材なしでやってます。
ボイパの話で言うと、有声音でも声量が出ないと練習が成立しなかったなぁ。
機材を譲ってもらったというお話がありましたが、クレクレやSCSとかも機材前提の練習じゃなかったのでしょうか。
部室を持ってるサークルが基本そんなになかっただろうし…SCSはどうだったんだろうなぁ…月一で機材練習していたって聞いた気はするけど。
マイキングの練習とかは全然できないっていう感じですよね。
そう。当然ミキサーをちゃんと操作できる専門家もいないし…今でも筑音(ちくおん)ってあるのかな?
筑音ありますね。
筑音に所属している同級生を連れてきて、PAをお願いしたりはしていたかな。
あー、なるほど!
今の学生サークルって、それこそ音響班とか照明班のように役割が分かれていたりもしますが、当時はどうでしたか?
Doo-Wopでは2000年頃から、「音響専門にやります!」みたいな人が結構増えてきたかな。照明得意ですって人もいたけど、もう最初はみんなで協力しあって役割分担してたね。
ちなみに当時の練習内容はどんな感じでしたか?
いわゆる合唱部と一緒かな。発声練習で、「マママママー」とかやって、それが終わったら各々のグループに分かれて…カデンツまではやらへんかったね。
なるほど、当時はまだハーモニーを意識した発声練習をしていなかった感じなのですね。
コードっていう捉え方をまだあんまりしてなかったかもね。みんな横のラインには集中していたけど、縦のことはあまり気にしていなかったかなぁ。あと、和音を弾く時はみんなカシオのキーボードを使ってたかな。
32鍵盤のものでしょうか。
はいよっ。
そう、それ!当時は全員それやから!SCS35周年パーティーのノベルティーはそのキーボードを型取ったキーホルダーやったんよ。
すごいですね!
GZ-5ですね
最高だ…SCSはやはりセンスありますね(笑)
あるあるー(笑)
SCSはもう35周年なんですね。
豪華!
見たかったです…
ゴスとTRY-TONEとRAG FAIRがセッションするんやで。
すごい…Doo-Wopよりも10年ぐらい歴史があるんですね。
あとはやっぱり厚みがあるよね。インカレやから。SCSには、音大の子もいっぱいおったし。
おぉ〜。
だから、何もかもしっかりしてるよね。ホント巨大企業。層も厚いし機材もあるし、歴史もノウハウもあるし、プロも出してるしみたいな。アカペラ界の圧倒的なGAFAですよ。
専門的な方が多かったんですね。
色んな人材がいましたね。
特に90年代のSCSはバケモンだって言われていたけど、アカペラをやるっていうよりも、音楽をやるっていう方たちばかりだったイメージがあります。
確かサークルに入るのにも関門があったとか…?聞いたことがあります。
どのような関門ですか?
とりあえず新人はスタートアップバンドというのかな、バイトで言ったら試用期間みたいな感じの時期があったと。詳しいことはSCSの人に聞いて欲しいんだけど(笑)そういう意味でも凄かったよねSCSは。当時俺が持っていたイメージは、「歌う戦闘集団」ですから。
笑笑笑
オーディションもすごいわけで。他のサークルでは、オーディションをせずにみんなライブに出てたけど、SCS では観客相手に歌うんだから、オーディションしないといけないでしょというスタンスだった。
そういえば、僕が学生だった頃はあまりSCSのバンドをイベントで見かけなかった気がします。
SCSは名門だし、特にJAMの時は誘うのにすごい苦労したかな。老舗の名店なわけでさ、なんていうかな、伝統ある創業何百年もの和菓子屋さんが、大学の学祭では屋台は出せません!みたいな。
あー(笑)
いやいや、一緒に美味しい者作って売りましょうよ!って。ほらうちの学祭でもわらび餅とかみたらし団子とか、同じようなもの売ってますし!って言われてもねぇ笑
当時JAMでpopuliとかGraziosoの演奏を聴いた時には本当に度肝を抜かれました。
野球でもサッカーでもそうだけど、巨人がその辺の草野球チームと交流戦をやったりしないやん?それと一緒かな。
ずば抜けていたって感じなんですか?
うん、そうね。あとサークルの層が厚いから、中での活動で完結していたのかもしれないね。
そうですね。勝負というか、競い合うのも全部サークル内で完結しちゃうっていうことですね。そして、互いに讃えあうという。
そう、ヤロバンもギャルバンもいっぱいあるわけや。その中で新陳代謝も生まれていくし、その中に伝統もあるし、もともとインカレ組織でもあるしで…
営業とかもいっぱいSCSに来てたみたいなんで、歌う場所にも困ってなさそうでしたもんね。
早稲田祭もあって、そこで先輩後輩の交流もあるし、組織としてもしっかりしてたよね。ライブも季節毎にあって、さらにファイトもあったからね。客もいっぱい来るし、大きなホールでやってたなぁ。
確かにそうですね。今も少しそういう名残なのかわかんないんですけど、あまり外部に出るバンドが少ないっていう話は私も聞いたことがあります。
Doo-Wopとしては打って出ていきたいけどさ、筑波に来てもらうには苦労することばかりで…(笑)
そうですね、なかなか来てもらう機会を作れないですよね…
楽器×ボイパのバンドで「アカペラ」の枠を越えようとしたことも
話を少し戻しますが、学生時代にアカペラメジャーズ、JAMと幅広く活動されてきたと思うんですけど、他にこういう活動もしてたよっていうのはありますか?
この前ボイスカンパニーの話したっけ?
聞いてないかもしれないですね。
俺がボイパやって、あべつねってわかる?今バークリーにいるあべつねも筑波やってん。
筑波大学を経て、バークリー音楽大学でジャズ作曲科を次席で卒業。現在は同大学のコンテンポラリー作曲・製作科で准教授として教鞭を振る傍ら、ジャズボーカルグループ「Syncopation」のメンバーとして活動中。
あべつねさんはそこからBaby Boo(現ベイビー・ブー)、そしてバークリーに行ったんですよね。
あべつねは一度だけRAG FAIRのステージにもヘルプで出演してくれたんよ。
あ、そうですか!
なんかこれやばい話が聞けそうだ(笑)
笑笑笑
それこそ俺がDoo-Wopに入った時に、あべつねが先輩とか5人ぐらいでジュークボックスっていうバンドを組んでたこともあって、新入生の時に見に行ったこともある。その後一緒に演奏するようにもなって、ボイスカンパニーは、俺とあべつねとSaigenjiっていうギタリストがいて3人でちょこっとね。Saigenjiとはのちに対談もしたなぁ。
ボイスカンパニーっていうのはグループ名ですか?
そうそう。ホームページもないし、営業と他に何かちょこっとやってたぐらいやで。当時から、アカペラ以外にもボイパで飛び出したいってのはずっと思ってたなぁ。
すごい…早い段階から…
当時、楽器の中にボイパが入る形態があまりなかったかと思うのですが。
ないと思うよ。自分は結構早い段階でドラム以外のパーカッションとかさ、SEとかの音も表現してたんだよね。バンドいっぱい持ってる時に、途中から楽譜覚えるというよりも、セッションに近いような捉え方で演奏するようになったっていう感じかな。
おぉ。
あとは劇団の人と一緒にやったりとかね。アカペラというより、ボイパで勝負できるんとちゃうか?と思って2000年に休学したわけよ。その頃は既にRAG FAIRもやってて、劇団の人と一緒に、詩を詠んでいるところにボイパで効果音をつけていくみたいなこともしてたかな。
そういうコラボってないですよね、ボイパと何かっていう。
今考えるとそうなのかもしれないねぇ。
RAG FAIRのデビュー後は考える暇もないほど忙しかった
そういえば当時、僕の周りではおっくんの髪型に影響を受けた人がたくさんいました。坊主にしたり、ハードワックスで髪の毛を立たせてたりとかしてましたね。僕たちにとって、おっくんはファッションスターでした(笑)
いやぁ、実はなんであれをやろうと思ったのか覚えてないんよね…(笑)レプリカでハモネプに出てる時は普通の髪型だったもし。あの頃は都内にある、23,000円の風呂なしアパートで生活してたので、冬でも冷水で髪の毛を落とさなあかんかったわけよ。
ははは!水でワックス!
頭かち割れると思ったもんな、あん時(笑)でも、ちょっとその辺も面白いよね。そんなアパートで生活しながら紅白出てるって考えてみるとさ。
急に売れましたもんね。ハモネプでデビューして、そこからミュージックステーションやうたばんに出たりと…
いやぁ、すごかった。多分一番最初の芸能界っぽい仕事がジュノンで、ウエンツ君と対談したからね。
おぉ!
当時ほらバラエティー番組がさ、結構バラエティー出身の素人さんってちょこちょこ出てきてて。
アイドルですね。この業界で完全アカペラで売れたっていうのはもうラグぐらいじゃないですか。
そうかもね。
どんな状況なんですか?芸能界からの見方っていうのは…がむしゃらにやっていくしかなかったのでしょうか。
がむしゃらというか、段階で言うと2001年4月にハモネプが始まって。で、ハモネプも4,5,6月とドンドンドンって視聴率取れていって、夏に大会が1回ありますー、でレプリカ負けますーって感じで。
ほうほう。
でも、俺は逆にこれはバネにするぞと。2回目があったら、そこでは絶対どうリベンジするか注目される。どうやったら優勝できるかとかももちろん考えたけど、一緒にいるのはプロじゃない普通の高校生だった5人やんか。
うんうん。
だからその辺をどうやって…ぽちやチン☆パラといった強敵を何で上回っていけば良いかはすごい考えたで。数少ないチャンスを、自分たちの持つカード、ええところをどう見てもらいながら戦ってゆくのか。それを考えて、みんなも本当に頑張って。
なるほど。
その結果、2回目のハモネプで優勝できて。優勝ブロックの中で、秋元康さんから「楽器のマネをしても何してもね、人間だということがあらためて伝わってくるような、暖かい感じがとっても良かったし…すっごく良かったです。」と評してもらったんはめっちゃ嬉しかったなー。それが自分らが思ってるアカペラの一番の魅力やし、それこそが「レプリカ」の大きな武器やと思ってたから。
で、そこから2001年の12月にはRAG FAIRでデビューしたからね。当時は学生だったけど、あっという間の時間やったよ。
もちろん、学業とも両立しないといけないですし、本当忙しい学生生活でしたね。
ただ、JAMを作ってる時もバンド10個かけもちとかでずっと動いとったから、デビューしても拘束時間は変わらへんかったかもね。
なるほど。
芸能界も最初はあまり自分が出るって意味では興味なかったし。だからaikoさんとかにも2回目やのに「初めまして!!」って言っちゃったり。とりあえずちゃんと全員に挨拶は大切やぞみたいなのがあるやん?そしたらaikoさんに、「おっくん、先月か先週に会ったやん!」ってずーっと言われてたわ。
笑笑笑
あと、aikoさんのオールナイトニッポンの裏番組を俺が文化放送で始めることになって。オールナイトでもaikoさんからおっくんが裏番組やってるってずっと言われてたなぁ。とにかく、あまり何かを考える暇はなかったかなぁ。
CDを製作する中で、幾見さんが結構関わっていたかと思うんですけど。
プロデューサー、ギタリスト。米国のアカペラグループRockapellaをプロデュースした経歴から、これまでに国内で多くのアカペラグループをプロデュースしてきた。現在はTHE SOUL SEEKERSやStoned Soul Picnicという音楽ユニットでギタリストとして定期的にライブ活動を行っている。
はいはい。
それって、どこからの話なんですか?幾見さんは元々RockapellaとかPhew Phew L!veをプロデュースしたりと、アカペラ関係は確かにつながりがありましたけど。
やっぱり、レコード会社や事務所が絡んでくると、なんかそれをプロデュースしたりディレクションできる人がいなくちゃね、という話から自然に幾見さんに行ったんだと思うよ、多分ね。
なるほど。
俺らが選んだっていうか、それはまぁ、条件とかもあるやろからさ、交渉とかは俺らがするわけじゃないよ。それまでは俺自身幾見さんとは面識なかったしさ、確か。
そうだったんですね!
初期の方はRAG FAIRは高久が抜ける抜けへんのバタバタ感がすごかったから…だから、ハモネプっていう番組で素人が出る分には別にいいけども、プロっていう話になると色々と大変で。
ほうほう。
万が一高久が抜けるんだったら次のメンバーを探さなで、でもそんな中でもレコーディングせねばっていう、あのバタバタ感が最初にあったからなぁ…とくにマイレージがさ。
2002年6月19日に発売された、RAG FAIRのセカンドシングル。本作でオリコンチャート初登場1位を獲得し、同日発売の「Sheサイドストーリー」は2位と、1位2位を独占した。
シングルのときですね。
もうデビューしたらさ、すぐに次のシングルの話になってくわけよね。で、レコーディングしてPV撮影ってなってくるから、「よーいドン!」て言ったら400メートル走でもうとにかく倒れずに走るのみ!みたいな。観客席を見る余裕もないしさ。
なるほど。
業界は時間との勝負ですよね。
そのペースについていくのに必死よね。
ほうほう…
あとあれやで。ラブラブなカップルふりふりでチューの振り付けは椛島さんがやってた。
あぁ!KABA.ちゃん?
そう(笑)
KABA.ちゃんがされてたとは驚きです!
当時は椛島さんって名前で活動してたんよ。
そのあとタレントとしても活躍されていましたよね。
小室哲哉氏がプロデュースした、dosの元メンバー。安室奈美恵の「Chase the Chance」やSMAPの「世界に一つだけの花」の振り付け師としても有名である。現在はタレントとして活動している。
そういうのもあったり。糸口があれば思い出せるけど、でもほとんど覚えてないかな…あのハムスターが回し車の中で足を止めた瞬間グルグル回り続けるみたいな感じの。
バタバタでしたね…同じ事務所でもINSPiさんとはどうでしたか?ライバル関係っていう感じでもないと思うんですけど…
まあ、全くキャラ違ったからね。
確かに。全然違うデビューの仕方っていうか、もう正反対で出ましたからね。
そうそう。で、やっぱりなんていうかな。同日デビューしたけど、俺がハモネプ出てたからっていうのはもちろんあるけど、事務所の扱いもまたちょっと違ったりもしたしね。
INSPiは正統派で出てましたもんね。
最後に
今回は、奥村さんがRAG FAIRとしてデビューしてからのお話しを伺うことができました。
奥村さんの記事は次回の第4回目で最後となります。
次回記事はこちら
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